ぱいぱん

えっなんで?
みたいな顔で今おれ見たでしょ。

やっちゃったんですよ。おとといの夜中、どこかの国のブルース聴きながら。

酔ってたってのもあると思うんですけど、おれはいたって本気でしたよ。

ええ、俗にいうパイパンってやつです。綺麗でしょ。

 

でも、半分くらいいったところで、思った以上の量にちょっとびっくりしちゃったんですけど、そこでやめたらいけないってのはちゃんと分かって、そこから先はもう、震える手でやったんですよ。

彼女には、びっくりされて、まぁそりゃそうだと思うんですけど、でも意外と普通に受け入れられて、外国人との経験でもあったんですかね。逆にそっちにびっくりしちゃって。

意外とありかなぁなんて言っちゃって。私もしようかなぁなんて。まあそんな気遣いも逆にうれしくなってきっちゃたりすんですよね。ほんとにやってもらっても困るんでそこは止めたんだけど。

きっかけってほどでもないんですけど、母親が入院したんですよ。乳ガンで。

もう1年くらいになるのかな。今は、手術してまぁ元気そうにしてるんですけど。

ショックだったんですよ。だって、今まで口にすることはなかったけど、やっぱりいつまでも元気でいるってなんとなく思ってたから。

だけど、乳がんだったのよって聞かされたときは、お母さんもう入院する病院も手術する意思も固めてたみたいで。過去形で。今度の帰省の時にはばあちゃんの誕生日にご飯食べに行くからね、みたいな話題との間で知らされて。ああそうなんだねぇなんて、その強がりに甘えちゃったりして。

つぎにあった時には、髪の毛がなくなってて。あっけなくて。普段、母親が年とともに髪の毛が細くなっているのを気にしてたのは知ってたし、なんかいろんなシャンプー使ってたから、男が想像する以上に女のそれが大事なもんなんだってのはなんとなく感じていたんだけど。なくなるってのは、どうなんかな。当事者でもなくて、やっぱり他人で、人よりちょっと感性に癖がある僕にとっては、かっこいいって思っちゃったり。隠してるそのニット帽がださいって感じっちゃったり。

でも、そんなたいそうな想像力を使わずとも、それが息子に髪の毛なくなっちゃったって笑いながら見せることが、母にとって女にとって恥ずかしい姿なんだってその表情をみてるとなんとなく伝わってきて。

相変わらず反抗期をひきずってる僕は、そんないろんな壁を乗り越えて笑ってる母親に気の利いたこと一つ言えずに寒そうだね、なんてとんちんかんな返しをすることしかできず。

そのときから、ずっと僕の中に薄気味悪いもやもやが沈んでいて。頭でっかちな僕にとって、その気持ち悪いもやもやを理解することができなくて。なにが引っかかってるのもよく分からなくなって。それっきり、実家には帰らなくなって。

別に疎遠になったわけではないんですよ。誕生日には母親センスのスキニーが届くし、僕だって少し臭いセリフとスタンプを送ったりしてたし。お母さんに髪の毛が生えてきたってのは、姉からのラインで知りましたね。今では耳にかかるくらいに伸びていて。まだ人前に出るにはかつらをかぶってるけど、早朝の犬の散歩にはつけないでいくこともあるみたい。

僕はというと、一年前と同じ生活をしていて。ちょっと広い部屋に引っ越し、違う彼女を抱いていたけど、やっぱりどこかの国のブルースを聞いていて。

それからも、もやもやが晴れることなんてなかったです。むしろ、一か月に一回、彼女の生理の日に合わせるかのように僕に大きな塊となって襲ってくるようになって。性欲を抑えているからだからかなぁなんて、軽い冗談で済ませたりして。

いや、別に母親のがんを気付いてあげられなかったとか、少しでも慰めてあげられなかったとかいう後悔の念とかじゃなくて。もはや乳がんなんてのは関係ないのかな。自分の内側にある邪念とかこの世界に対する絶望とか。とにかく、その時自分の身の回りにあるちょっと気にかかるものだったり、自分を阻害するものも一緒くたになって襲ってくるんです。

でもそれは、どこか深いところでしっかりと結びついていて、目をそらしてもそらして先にその先っちょが転がっていて。逃れようともがくたびにちょっとずつ締め付けられているようで。

だから、剃ったんです。そうでしょ。わかってる。飛躍してるのは。

おれが下の毛を剃ったところで母親のその後も続いてる薬が減るわけでもないし。心が安らぐわけでもない。でも。それでも。

いつかのニュースで見たんです。母親の副作用に合わせて、頭を丸める息子の姿。

よくある美談だなぁなんて、その時は。人よりちょっと共感力に劣る僕には、そんなことしてどうなるんだって冷めてる部分が大部分で。

でも、美容室でシャンプーしてもらってる時にふと思い出したんです。坊主にする?って笑いながら美容師さんに言われて、高校球児じゃないんだから絶対嫌ですよぉ。なんて少し冗談っぽい会話をしてる時に。あぁそういうことかって。

その時から、後ろめたさとモヤモヤの払拭方法がわかった気がして。解決策ではないけど。回避策にはなるかなぁて。そのが、昨日の夕方ですよ。確かに後ろ髪もスッキリしてるでしょ。そういうことなんです。別に髪でもよかったんだけど、髪の毛を剃るのは少しカッコつけすぎな気がして。

昨日の晩は、ちょっと張り切っていいビール買って、うまい飯作って。深夜のコンビニで、T字のカミソリ三本買って。

はは、微妙な顔。別になんともない話でしょ。だらかどうかほっといてください。

【5秒哲学】バナナはおやつに入るのか。

バナナはおやつに入りますか。

バカな友達が先生に質問する。小学校2年生での話だ。小学生のなかでの鉄板ネタ。教室はうっすら笑いに包まれる。先生は答える。入りません。バナナは果物なので。

僕はその時勉強した。バナナは果物なんだ。

 

小学校3年生になる。バナナは果物なので、僕はカバンに大量のバナナを仕込ませて遠足に行く。僕は、バナナが大好きなのだ。しかし、先生はそれを見つけ、バナナを没収した。僕はびっくりした。そして抗議した。去年は、バナナは果物でした、と。しかしバナナは遠足が終わってバスを降りるまで帰ってくることはなかった。

 

そう、この世界の線引きは非常に曖昧なのだ。バナナはおやつにもなるし、果物にもなる。バナナはおやつに入りますか。この言葉は、誰が決めたのかもわからない線引きの上に生きる窮屈なこの世界に向けた皮肉なのか。